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20世紀末・日本の美術


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1994年(平成6年)
1994年(平成6年) ※ピンク色で貼付けてある事柄は、年表に出ていないが、登壇者により取り上げたいと希望があったものです。

中村:この年にミヅマアートギャラリーとタカ・イシイギャラリーがオープン。2年後佐賀町に小山登美夫ギャラリーもオープンするんですね。当時はそうしたコマーシャルギャラリーこそ、インディペンデントっていうか、カウンターのイメージがあった。

永瀬:80年代を引っ張ったコバヤシ画廊さんなどもありましたが、いずれにせよ日本的な銀座の画廊が主だった所に小山登美夫(1963-)さんとか三潴末雄さんとか出てきて新鮮でした。こういう動向を準備した下地としてアメリカ型資本主義、要するにグローバル経済の波及の始まりがある。例えば『EV. Cafe超進化論』(講談社、1989年)っていう本があって、当時の空気がよく分かります。

中村:持ってたよ。

楠見:もちろん僕も。

永瀬:村上龍(1952-)と坂本龍一(1952-)が、当時の批評的なスター達を捕まえて対談する本ですけれども、柄谷の発言を引くと「しかるにここ三年くらいの間に感じたのは、そういう形而上学批判の仕事は理論的な意味で“高尚な”仕事なんだけど、しかし、一方でそんなディコンストラクションは資本主義がやってくれることなんですよね。そのことは僕は嫌なわけじゃない。むしろ資本主義をみなさいよっていいたいわけ」。こういう言説があったところに、コマーシャルギャラリーが出てきた。今、コマーシャルギャラリーに批判的な立場の人は、乱暴に言えば沢山ある一般のショップと変わらないじゃないかと言うかもしれない。しかし当時の文脈で言うと、開かれたマーケットで交換されるコマーシャルなアートこそが既存の美術をディコンストラクションする、閉ざされた領域を脱構築していく。そういう思潮がありました。そこを踏まえないといけない。

中村:今のイメージとだいぶ違いますよね。当時、カウンター的な存在としてコマーシャルギャラリーがあったということは、中央にはなにがあったのでしょうか?

永瀬:安井賞とかやってたんですよ。わかりますか? 安井賞。あと、現代日本美術展っていうのがあったんです。これは荒川修作(1936-)さんなんかがある期間出していて、それなりに一時代を築いていたのですけれども形骸化してました。 安井賞っていうのはどう説明したらいいですかね。…ひどい。ひどい展覧会だった。そのひどい展覧会で賞をとることが、当時画家の登竜門だったんです。文学でいうところの芥川賞とるみたいなイメージだった。

中村:(永瀬さんが)安井賞ひどいって言ったってみんなツイートしてね(笑)。

永瀬:(笑)。村上隆さんも出してましたよ。DOB君シリーズを。彼がトドメを差したようなものですが。現代日本美術展なんかを見に行くと、文字通り現代アート版日展と言ってもいいくらい会場が死んでました。そういうものが続々と終わっていく中でコマーシャルギャラリーが出てきたってことだと思います。

中村:この年、眞島さんが水戸芸術館のクリテリオムで展覧会されています。僕もこの年デビューです。やっと、90年代において自分たちの話もできるようになりました。

眞島:私の一連の「天ぷら」作品、あれの最初の発表が94年です。画像ありますか? 個展に至った経緯を簡単に説明すると、94年の頭頃だと思うんですが、NICAF(国際コンテンポラリーアートフェスティバル)という、何回目かはちょっと分からないのですが、アートフェアが横浜であったんです。

中村:アートフェア東京みたいなのが、90年代頭にもあったんですよね。

眞島:そうです。そこに、ペンローズ・インスティテュートっていうところがブースを出していたんです。ロンドンICAの姉妹機関という触れ込みの、オープンして半年くらいで閉まっちゃった場所なんですが、そこのブースで、椹木野衣、池内務(1964-)、黒沢伸(1959-)、西原珉(1964-)といった、当時の若いとんがった批評家や学芸員にプレゼンできる機会があって、そこで色々話が決まっていったという経緯です。

中村:これみなさん知っている人は知っていると思うけど、ヴィーナス像を天ぷらで揚げているっていう作品です。

pic

眞島:そうです。

中村:これ、今だったら「ARTはアーホ!」(フジテレビ)とかに出られるね(笑)。

眞島:出られるでしょうね。実際に「トゥナイト2」(テレビ朝日)とかに出ましたからね(笑)。

中村:見る人はそういう風に見ちゃうよね。これダウンタウンとかも真似してたから。

眞島:ああ、それはもう、みんながやってくれれば(笑)。

中村:実際もうこんな風にして頑張ってやるっていうね。ドラム缶にサラダ油入れて…。(プロジェクションする)

眞島:はい、力業でやりました(笑)。これがデビューです。

中村:…ここでちょっと難しい話なんですけど、この年に、ロザリンド・クラウス(Rosalind E. Krauss/1941-)の『オリジナリティと反復―ロザリンド・クラウス美術評論集』(小西信之翻訳、リブロポート)という本が出ています。クラウスっていうのは、アメリカ人ですよね。ポストモダニズムの有名な評論家です。

眞島:『オクトーバー』ですね。

中村:グリーンバーグの弟子なのかな、アメリカには『オクトーバー』っていう非常にハードな美術評論誌があるんですね。

永瀬:その前段階で1987年にハル・フォスター編集『反美学―ポストモダンの諸相』(勁草書房)っていう本が出ているんです。これは今紹介があった『オクトーバー』誌の周辺にいる人々によるオムニバス本で、それを訳したものです。クラウスも入ってる。これ、凄い事だと思うのですが、いまだに再版をしているんですね。ずーっと出し続けている。つまりそれなりに一定数売れている。ポストモダンをきちんとモダンに対する検討として理論的におさえる本が1987年に出て、それがニューアカブームの残照みたいな感じで読まれたんだと思います。
確認したいのは、1987年に『反美学』が出て、クラウスの本が出る1994年まで7年ある。翌年に『モダニズムのハードコア』っていう本が、『批評空間』の別冊として出るのですが、既存の油画と彫刻みたいなものには当然反感を覚えるし興味がないにもかかわらず、いわゆるネオポップなもの、メディア操作的なものっていうのともちょっと違うかな、っていう人間は、ほぼこの数年って行き場がない。僕個人は実際この間実質何もしてない。それは僕が怠惰だったからですが、後から振り返るとその間黙々と絵を描き続けていた人っていうのはいたんですよ。

中村:僕たち、ストリートやクラブで盛り上がっていたんだけれども、絵を描いていた人たちもちゃんといたと…。

永瀬:抽象表現主義美術以降の展開を非常に真面目に捉えて、まともにショックを受けて、アメリカ美術の理論的な高さをタームとして取り入れるというよりは、身体的に受け止めた人っていうのは、少数いた。その人たちはこの間延々描いている。

中村:僕らが吉本隆明系だとすれば、そうじゃないのがあったっていうこと?

永瀬:うーん。吉本隆明もそんなに簡単にポップって言っていいのかというのがあるんですが、ただまぁ要するに、これは2001年くらいの話になってようやく出てくるんですけれども、ART TRACEとかphotographers’galleryとか、そういうちょっと…。

中村:眞島さんの天ぷらにしても僕の作品にしてもポストモダンだと思うんですね、そういう中でポストモダンやらずに、ちゃんとモダニズムをやっている人たちがいたっていう。

永瀬:彼等がモダニストかはともかく、モダニズムっていうものを正面から受け止めて考えていた人はいた。あまり表に出ませんでしたけど、この出版の状況がある。『反美学』が持続的に売れ続け、クラウスの評論集も出た。次いで『モダニズムのハードコア』が出るとき編集委員の一人の松浦寿夫(1954-)さんは、これは売れると思ったって言うんですよ。要するにそういうものの潜在的読者を自分の授業の学生さんとかから感じていたんだと思う。

中村:当時は表に出てきていないけれども、ゼロ年代も後半になってくると、その動きが表に出 てきて、永瀬さんが動きだすっていうのもまさにそのことかなって思うんですけれども。



    「天ぷら」作品

    『衣付きソーセージ』(“Sausage in Batter”)シリーズ(1994年−)。ミロのビーナスの石膏像などのオブジェに、小麦粉、卵、牛乳を混ぜた衣を付けて油で揚げる彫刻作品。<眞島>


    ペンローズ・インスティテュート

    ロンドンICAの創立者の一人、ローランド・ペンローズ(Roland Penrose)の名を冠したアート施設。正式名称はPenrose Institute of Contemporary Arts、略称はPICA(パイカ)。展覧会をわずか数回開催した後に閉鎖された(こけら落としは「具体」展)。筆者はここへの就職を期待して、ロンドンICAの開発部で一ヶ月ほどインターンをした経験がある。帰国後に履歴書を送ったものの、「現在、求人はしておりません」の一文で就職活動はあえなく終了となった。<眞島>


    ロザリンド・クラウス

    1941年生まれ。美術批評家。グリーンバーグの生徒として強い影響を受けるもやがてその影響下から脱出。「オクトーバー」も編集。『オリジナリティと反復』はこの「オクトーバー」連載論文からとられた。主著と言える『オリジナリティと反復』が日本で長く版元品切れとなっているのは影響が大きい。何らかの形で再刊が望まれる。<永瀬>

     

    『反美学―ポストモダンの諸相』

    『オリジナリティと反復』が新刊で買えない状況でこの書籍がいまだに書店で入手可能なのは素晴らしい。なお、編者が同じハル・フォスターである『視覚論』も平凡社ライブラリーで出ているので、併せて読む事が望ましい。というか『視覚論』が出たこともおそらくは『反美学』が売れた事の反映のように思われる。もはや何故そんなに持続的に売れるのか不思議。<永瀬>

     

    『モダニズムのハードコア』

    94年に話が出てしまったが95年、『批評空間』の別冊として発刊。編集委員は浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫。紀伊国屋版のグリーンバーグ『芸術と文化』が長く市場から消えた後、まともな美術理論のtxtが『反美学』以外枯渇していた中で、戦後アメリカ批評の理論的流れのポイントを実に明快に示した超参考書、といえる内容。その影響は書店から消えた後10年以上に渡っていまだ持続している。<永瀬>


    松浦寿夫

    1954年生まれ。画家、西洋美術史、美術批評。シュポール・シュルファスを早い段階で紹介している。様々な媒体に寄せた論考は多数あり重要性も高いが、とにかく本を出さない。もはや樫村晴香か松浦寿夫か、というくらい。「絵画の準備を!」が出てかつ再版されたのは奇跡的と言えるだろう。昔の水声通信を漁るのも疲れたのでなんとかならないだろうか。<永瀬>


    吉本隆明

    1924年生まれ、2012年没。詩人、文芸評論家。70年代以降全面化した高度消費社会を肯定し、文学からアニメや漫画、ポップミュージック、ファッションといった分野に迄その批評対象を加えていったが蓮實重彦曰く『吉本さんにはイメージに対する批判能力が皆無なんです』。また80年代の反原発、反核運動に対する批判は福島第一原発事故以後、改めて検証すべきだろう。筆者が美大に通っていた当時は「吉本なんか読んでいる奴は駄目だ」と揶揄された。<永瀬>




EV.Caf  超進化論 (講談社文庫)
EV.Cafe 超進化論 (講談社文庫)

反美学―ポストモダンの諸相
反美学―ポストモダンの諸相
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20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から
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20世紀末・日本の美術
ーそれぞれの作家の視点から
企画:中村ケンゴ
企画協力:MEGUMI OGITA GALLERY
音響機材:NORISHIROCKS
椅子提供:Civic Art
記録:小金沢智
ビデオ撮影:亀井誠治
販売協力:原花菜子
登壇者
眞島 竜男/現代美術作家
永瀬 恭一/画家
中村 ケンゴ(司会)/美術家
楠見 清(ゲスト・コメンテーター)/美術編集者・評論家
目 次
年表作成の為の参照文献
<年表作成の為の参照文献>
BRUTUS 2008年2/15号『すいすい理解る現代アート』/美術手帖 2005年7月号『日本近現代美術史』/山内崇嗣の美術史年表wikipedia『1990年代』FUKUSHI Plaza 『20世紀略年表』
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