20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から | www.nakamurakengo.com |

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20世紀末・日本の美術


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イントロダクション


中村ケンゴ(以下、中村):本日は大勢の方々においでいただきまして、ありがとうございます。この企画は僕が個人的に始めたのですけれども、結果的に素晴らしい登壇者の皆さんに恵まれまして、この貴重な機会を活かすべく、頑張りたいと思います。今回のタイトルは、「20世紀末・日本の美術」と大風呂敷を広げてしまっているのですが、「それぞれの作家の視点から」とサブタイトルがついているように、僕を含めてここにいる三人は作家であって、評論家とかジャーナリストではありません。ですからここで網羅的、体系的に何を語るということはできません。僕たちはだいたい90年代中盤くらいから作家としての活動を始めてきたのですが、あくまでその実践と体験の中で知ったこと、考えたことをベースに、ここでは語りたいと思います。ただ、作家だけで話してしまうとちょっとバランスが悪いなということで、今回は、80年代後半からゼロ年代にかけて『美術手帖』(美術出版社)の編集に携わっていた、楠見清さんにもおいでいただきました。
それでは、今日の議論に臨むにあたって、それぞれ一言ずついただいてもよろしいでしょうか? ではまず現代美術家の眞島竜男さんです。よろしくお願いします。

眞島竜男(以下、眞島):眞島です。よろしくお願いします。90年代の個人史を言うと、私は1989年から1993年までイギリスに留学し、帰国後の1994年に現代美術作家としての活動をスタートしています。ですので、90年代の半ば以降は様々なアートの現場を見てきていますから、今日はそれについて色々と話せればと思います。あと、90年代のアートについて話を進めていく上で、シミュレーショニズム、そして日本の近代美術についての批評精神の浸透、この二つをキーとして最初に挙げておきたいと思います。

中村:ありがとうございます。続きまして、画家の永瀬恭一さんです。

永瀬恭一(以下、永瀬):永瀬と申します。よろしくお願いします。僕が多分一番特徴的なのは、90年代まったくなんにもしていないということだと思います。1989年に東京造形大学に入学しまして、1993年に卒業しました。それからほぼ10年間、公的というか、少なくともここで紹介できるような美術活動のようなものを、まったくしていません。何をしていたかというと、一貫して見ていたと思います。そのことが多分、今日ここにいる皆さんは中村さんを含めて90年代に大変素晴らしい活躍をされていた方たちですので、その方たちとの、対立的というよりは相互的な、補うような関係で話せたらいいなと思います。
僕も二つだけキーを挙げさせてもらえば、まず作品に基づいて奥から手前へという動きがあったなと思います。それから状況論的には、外部からの侵入っていうのが四分野ほどあって、文学、アメリカ経済、建築、社会学という四つの外部から美術に色々なものが侵入してきたなというイメージをもって今日話したいと思います。

中村:続きまして、編集者、美術評論をされています楠見清さんです。

楠見清(以下、楠見):よろしくお願いします。僕は、1986年に『美術手帖』の編集部に入って……。

中村:それは美術出版社に入社されたということですか?

楠見:そうです、それで編集者としての僕がいちばんラディカルだったのってDr.BTを名乗っていた1989年から92年までだと思うんですけど、『美術手帖』でやりたい放題やりすぎたこともあって他の部署に異動させられてしまったんですね。増刊・別冊や書籍の編集を7年間ほどやったあと『美術手帖』に副編集として戻ってきたのが1999年。だから実は僕も90年代は美術には直接は関わっていなくて、要するに何をやっていたかというと美術の周辺にあるニッチな本をつくらされる羽目になってた。

中村:『コミッカーズ』の編集部にいらしたのですよね。

楠見:ええ、そうです。でも、それは期せずして、いまにして思えばサブカル・ブームの中心に居合わせたともいえるんですけど、やはり美術の現場はうらやましかった。オレだったらもっとこうするのになあとか思いながら指をくわえて眺めていた部分があるんです。そのジレンマが今日の客観的な判断になにかお役に立てばと思いながら、お話ししたいと思います。よろしくお願いします。

中村:私は美術家の中村ケンゴと申します。よろしくお願いします。
今日は基本的に三つのことを柱に話していきたいと思います。一つめは、90年代から現在までに流れる表現の潮流というか、軽く言えば流行みたいなものは何があったのかということ。二つめは、アートマーケットの問題、要するに儲かっとんのかいという話です。三つめは、それに関連すると思うのですが、アーティスト・サバイバルの問題です。2012年まで、日本の、東京のアーティストはどうやって生きてきたのか。ここにいるのは結構オッサンなので、生き証人だと思います。話せるところは話して下さい。

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ただこの三つの話をそれぞれ分けて話してしまうとちょっと難しいなと思いまして、今回はこのように年表を作りました。この年表に沿って時系列で語りながら、三つの要素を縦軸として話していきたいと思います。1989年から2001年を基本として考えていますので、十数年をこの二時間で一気に駆け抜けるということになりますので、皆さんも付いてきて下さればと思います。じゃあいきますね。


    シミュレーショニズム

    「なぜシミュレートする(した)のか?」という点は、改めて問われる必要があるだろう。「表象の権力構造を批判するため」、「エスタブリッシュメントに対する嫌がらせとして」、「消費主義社会の虚無を生き抜くため」、「知的ゲームとして」、「かっこいいから」、「他にできることがないから」、等々。いずれにせよ、そこに(消極的なものであっても)解放の感覚があったのは確かなように思われる。<眞島>


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20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から
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20世紀末・日本の美術
ーそれぞれの作家の視点から
企画:中村ケンゴ
企画協力:MEGUMI OGITA GALLERY
音響機材:NORISHIROCKS
椅子提供:Civic Art
記録:小金沢智
ビデオ撮影:亀井誠治
販売協力:原花菜子
登壇者
眞島 竜男/現代美術作家
永瀬 恭一/画家
中村 ケンゴ(司会)/美術家
楠見 清(ゲスト・コメンテーター)/美術編集者・評論家
目 次
年表作成の為の参照文献
<年表作成の為の参照文献>
BRUTUS 2008年2/15号『すいすい理解る現代アート』/美術手帖 2005年7月号『日本近現代美術史』/山内崇嗣の美術史年表wikipedia『1990年代』FUKUSHI Plaza 『20世紀略年表』
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