20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から | www.nakamurakengo.com |

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20世紀末・日本の美術


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ネクスト・ステップ
中村:…ようやく、我々は21世紀まできました。昨年は東日本大震災もありました。原発事故で東京はいまだに被災地でもあります。それでネクストステップの話をして終わりたいと思うのですが、今回の議論、とくに90年代の前半はインターネットがまだなくて、話していることも口述伝承みたいなものじゃないですか。ところが今ね、ツイッターもあって、フェイスブックもあって、今回もこんなに沢山の人がいらしてくれたのは、僕のツイッターのステマのおかげだと思うんですけれども(笑)。こうやってあらゆる記録が残る時代の美術史っていうのは、たとえば30年後も美術史があるとすれば、どういう風になっているんだろうなあと思ったりもするんですけれども。

永瀬:今日の文脈で言うと、この名前に触れないわけにはいかないなと思うんですが、カオスラウンジっていう運動体がある。僕は彼等に嫌われているらしいので、こんなところでこんなことを言うのになんの意味もないのですが、僕は評価をしています。どう評価をしているかって言うと、二つ。現実的な意味では、皆さん、多分ここに来ている方はご存知だと思うんですが、ネットの成果の搾取ではないかと叩かれたんですね。その叩かれた理由はとてもよくわかるんですが、彼らは叩かれている間に延々と展覧会を繰り返す。展覧会をやめなかったっていうのは、一つ作家として僕はリスペクトします。二つ目、黒瀬陽平さんという方が今どういうプランをお持ちか分からないんですけれども、かつて椹木野衣と岡崎乾二郎を繋げる仕事をしたいっていう話をなさったって聞いています。これは一つ、興味深いイメージじゃないかなと思います。それは単に岡崎乾二郎をポップの側面で評価しようとか、たとえば椹木野衣を文芸評論家として評価しようとか、っていう話じゃないんですよ。先行するあの二人を理論的にも実践的にも止揚していくヴィジョンっていうものをもし描けて、それを実現できる人がいたら、それはネクストステップだと思います。

楠見:かつてのものが思わぬ形で今に引き継がれているっていうのは感じることがあって、その意味ではポップ対モダンの対立も既に過去のものになっているという感じはするんですよね。

永瀬:あともう一つ。潮流っていうものが今日テーマだったので追っかけざるをえなかったのですが、潮流っていうものとまったく関係なく、自律した自分の体系を作っていくっていうのが、僕は基本的にアートっていう仕事だと思います。

中村:そういう意味で最初にあえて「流行」ってことばも使ったんだけど。

永瀬:今何が流行っているからこれである、次のステップはこれであるからこれをやるっていう仕事をやっている以上は、多分芸能のレベルでしかないだろう。芸術のレベルになるっていうのは、自分の体系を作るっていうことなんだと思うんですよね。 二つ事例を挙げたいと思うんですが、こういう団体が2001年にはじまりました。ART TRACEで、林道郎さんの「絵画二度死ぬ、あるいは死なない」っていうセミナーが行われたんです。当時の文脈で言ったら、サイ・トゥオンプリ(Cy Twombly/1928-2011)とかブライス・マーデン(Brice Marden/1938-)とかをこういう形で紹介するとか、全然潮流としては無い。後にまとめられて出版されます。しかもこれコマーシャルじゃないんですよ。若い作家たちが自分たちでお金を出して作った本なんです。こういう本が今に至るまで売れ続けている。
それからもう一つ、photographers' galleryっていう写真家の自主運営ギャラリーが新宿の2丁目で活動を開始したのが、やっぱり2001年です。これは新しい号ですけれども、2002年に『photographers' gallery pless』っていう本が出ている。これも別に企業からお金をもらってるわけじゃないんですよ。自分たちで一生懸命広告を集めて、10年間10冊出している。何してるかって言うと、マイケル・フリード(Michael Fried/1939-)に直接インタビューに行く。ユベルマン(Georges Didi-Huberman/1953-)に直接インタビューに行く。そういうことをまったく潮流と関係なく延々やってきた人たちっていうのが、今一つ成果を発信している。

中村:90年代沈黙していたように見えたけれども、実はその準備が今ここで花開いているっていう言い方もできる?

永瀬:花開いているから偉いんじゃないんですよ。わかります?

中村:失礼しました(笑)

永瀬:花開かなくても、偉かった。僕が今日言いたかったのはほとんどそれで。流れ、時代と呼吸するっていうのはアーティストにとってとても大事なことであるんですけれども、それだけではないんだということです。

中村:原発の話にもどりますが、一体本当はどうなっているのかが僕らにはわからないじゃないですか。自分たちで色々判断しないといけない状況になってしまった。そういうなかで、永瀬さんが言ってたんだと思いますが、やっぱり「モダンな主体」っていうのは必要なんじゃね、みたいな。それまでは動物化、動物化って言ってたのですが。

永瀬:原発の事故が起きたときにはっきりしたのは、自分で考えざるを得ない状況が生まれたんですよ。環境管理っていうことが言われていたときには、情報は環境によって与えられるんだ、だから人が自分で規律訓練的に考えるのではなく、人を適切に誘導するアーキテクチャが重要だっていう論理があったんですけれども。

中村:だから僕たちね、ユニクロ着て、イオン行って、それで人生事足りるじゃんみたいな話も震災以前にはあったんですけれど、それじゃいかんなっていう。

永瀬:経済状況がこうでしょう? 明日ご飯食べるのどうしようっていう話ですよね。お金持ちになるか貧乏になるかというよりも、お金持ちであろうと貧乏であろうと、今日なり明日を生き抜いていく。自分の価値体系とか、現実的な生活上の方法論とか、技術とか、お金の管理の仕方とか、そういうことって大事になってきている。

中村:よく言われるけれども、アートとか、哲学とか、そういうのは男の、しかも独身者の言説でしかないって話もあるじゃないですか。それで永瀬さんが言っていてすごいいいなぁと思ったのは、子育てするお父さんの芸術とかね、働くお母さんの芸術ってあんまりないでしょ?

永瀬:その話今日言えなかったんだよな。

中村:やっぱり美術を起点にして、別に美術家になるんじゃなくても、官僚になるとか、お医者さんになるとか、そういうことが必要じゃないのかなっていう。

永瀬:アートを子育ての現場にとかっていうヌルい話じゃないのです。出産を含めた、性あるいは生、死というものを20世紀形のヒューマニズムから一度解放して再検討する。人工授精とか人工子宮から安楽死まで含め、リプロダクション、再生産っていう問題はもはや既存の社会学では扱えない、芸術あるいは哲学レベルで考えるべき問題だと思うので。これは場を改めていずれと思います。

中村:東北芸術工科大学の宮本武典(1974-)さんがツイートしてたんだけれども、自分の教え子たちにアーティストになれとは言わないと。公務員になって欲しいって書いていた。地元で公務員になって、山形を救えと。美大を出て。

眞島:分かるような、分からないような。

永瀬:アーティストとして食べて行くっていうことに対して、眞島さんのご意見が伺えればと思うのですが。

眞島:私は、アーティストとしてのみで食べていません。それを前提として、身も蓋もない話をしてしまうと、例えば一年間に現代アートと呼ばれるものに支払われ得るお金の量って決まっていると思うんですよ。これは、足し算すれば分かります。アーティストとして食べていくというのは、要するにその数字を何人のアーティストに対して、どういうふうに分配するかってことであって、リアルな数字が出せるはずなんです。でも多分今まで、それがきちんとやられたことは一度もない。かつての画壇というのは、それをやっていた場所なんですね。だから、そこにははっきりとした階級、年功序列だけではないけれども序列があり、それこそ号単位で何万円っていう計算が成立したわけですよ。そういうものは、経済というのはもちろん実体的にも動いているわけだから、現代アートにもあるはずなんです。ただそれには、ちゃんとした調査が必要になりますよね。なんとか総研にやってもらうか、みたいな。

中村:オランダの経済学者の本で、ハンス・アビング『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』(山本和弘翻訳、grambooks、2007年)っていう本がありましたね。

眞島:結局のところ、どういう風に分配されるのかっていうことだと思います。アーティストとして食えるかどうかは、実際に何人が食えるのか、その数字を出さないと何とも言えない。だから、それは出した方がいいと思います。出した上で、やるかやらないかっていうのは、また別の話なので。そんな風に考えてます。
まとめ的なところを言うと、私が一番面白かったのは、ポップ対モダンっていうのが見せかけの対立だということ。そして、ポップの潮流があるところの下に、モダンの流れがあったということ。でも、その対立構造は偽の構造であって、これは要するに代理戦争的なものだと思うんですよ。対立する必要がないものを対立させることで、何らかの活動をしていることにしましょう、という部分があって、じゃあ何がそれをさせていたのかと言うと、権力が不在だったというのが一番大きな問題。

中村:つまり、自社連立政権がありえるの?(笑)

眞島:え? 何が?

楠見:つまり冷戦構造と似ているんだよね。

中村:そう。そういう話。

眞島:3.11以降に一番明らかになったのは、原子力という権力が、とてつもない権力があったんだということだと思うんですよ。多くの人が改めてそれに気がついた、というか初めて知った。そのときに、モダンなもののポップな側面を見直すとか、反対にポップなもののモダンな側面を見直すとか、そういうことをしても余り意味がないんだろうと思います。で、岡崎乾二郎がどうポップなのかについては色々と議論する必要があると思いますけれど、結局その偽の対立そのものを、もうどうでもいい、とポイッと捨て去る場として岡崎乾二郎というものが召還され続けたのが90年代だった、後半は特にそうだったんじゃないかと、今は思うんですね。
だから、本当にそれを結論としていいのかどうか分からないけれど、『ルネサンス 経験と条件』という本が90年代を閉じる役目を果たした。で、それが一般的なものとしてさらに展開するなら、展開するっていうのは新たなステージに行くんじゃなくて、岡崎乾二郎的なもの、つまり見せかけの対立を無効化するようなものが、延々と実践され続け得るのか。そうした実践をマニエリスムに陥ることなく継続できるのか。かなりチャレンジングなところだと思うんですよ。
それで、その次元でアーティスト・サバイバルを考えるなら、公務員になれっていうのもそういうことの一つかもしれないですよね。見せかけの対立のどちらかに与して、あるいはその時々に立場を変えながらアーティスト的に振る舞っていくというのではなく、そうした対立が止揚された状況自体を実践していく。それを単純にやっていくことができるのか。だから、子育てのアーティストというのは、子育てをアーティストの側から見直すというような話ではないってことですよね。そんな気がしています。そういう動きは出てきてるだろうし、自分もそうなっていく必要はあるだろうな、と。

中村:そろそろ時間なんですが、一言ずつ言いたいことがあれば言って下さい。

楠見:アーティストが公務員になるって文脈がよくわからないんだけど……。でも、いまなんとか咀嚼しながら思うに、それで世の中が変わるかもしれないなと。なんかとんでもないゲリラが……。

中村:あ、そっち?(笑)

楠見:うん。芸術という特殊技能をもった工作員が公務員として社会に送り込まれる、ってそういうこと?

中村:すごいね、それ。使徒侵入みたいな……。

楠見:でも本当はそういうことにはならない(笑)。まあ、いいんですけど。ただ、いろんな形でアートに関わっている以上、アートが世の中を変えるっていう、ある種の欺瞞っていうか思い込みって言われるかもしれないんだけれど、そういう自負って必要だと思っていて、それが無ければ、何も変わらない。アートは別に社会を変えなくていいのだ、っていわれてしまえば、まぁそれまでという話でもあるんだけれども。ただ、少なくとも芸術の根幹となる動機の部分において“現状に満足できない”っていうものがあるとしたら、そのフラストレーションをアクションに起こしていくことがアートだと思う。今日ここで過去を少しずつ振り返ってきて、思わぬところが何か思わぬところに繋がっているっていうのが僕自身見えてきて、それが面白かったんですよ。そんな形で多分いま現在起きていること、やっていることが、いつかとんでもないところに繋がっていく──その可能性をアートのもつ力として信じていいかなという気があらためてしました。

永瀬:今日一日をどうやって生きていくか。芸術っていうものが、単にキャリアメイクの道具ではなくて、どう生きていくかって考えること自体が芸術なんだと思います。自律した体系っていうのは単に単独で完結してスタンドアローンでっていうモダンなものじゃなくて、自律したところで代謝が始まるはずなんです。あるいは代謝し続けなければ自律できない。ボルボックスとかゾウリムシとか微生物が常にそうであるように、常に代謝し続けることによって自律しえる。自律することによって代謝できる。コミュニケーションと自律を対立構造で考えるのではなくて、お金をどう調達するのか、画材をどう調達するのか、発表の場をどう調達するのか、作品をどう構築していくのか。それは一つのトータルな組み立て行為であって、それがつまり芸術なんだと。それを自覚的に進めていくのが芸術家なんだと思うので、そういうことが言いたかったです。

眞島:最初に挙げた二つのキー、シミュレーショニズム、それから日本の近代美術に対する批評に繋げて言うと、日本の近代美術史、あるいはその批評史というコンテクスト自体をシミュレートすることで続いてきた部分が、ポップにおいてもモダンにおいても90年代はあったと思うんですね。それで、シミュレーショニズムと聞いて私の中でぱっと思い浮かぶのは、たとえばシェリー・レヴィン(Sherrie Levine/1947-)の写真だったりするんですが、あれは歴史的、批評的なコンテクストをもちろん持っているんだけれど、具体的な対象物がある。つまり、何をシミュレートするか、その何っていうのがはっきりしている。日本の90年代って、実はそれがあんまり強くなかったような気がしているんです。 本当に最近の例でいうと、Chim↑Pomの《LEVEL 7 feat.明日の神話》(2011年)。あれが何をシミュレートしているか、何をモデルとして使っているかは明らかですよね。

中村:渋谷駅の岡本太郎の壁画(《明日の神話》1968-1969年)ですね。

眞島:それから、「指差し男」。なぜかヴィト・アコンチが出てくる。ヴィト・アコンチが現代日本の文脈にいきなり投げ込まれる。ああいった形のシミュレーショニズム的な経験って、実は90年代にはあまりないんですよ。少なくとも、私が私が知るかぎりでは。この辺に新しい動きがあるはずだし、そこからポストコロニアル的なものとか、カルチュアル・スタディーズ的なものと呼ばれていたものが、具体的な実践として可能になった時代が来ている気がします。

中村:ありがとうございます。時間もあまりないので、質問コーナーにいきたいと思います。なにかありますでしょうか? はい、どうぞ。

質問者1:僕は知り合いから紹介されて来たんですけれども、90年代、平成元年から2001年までの話を聞いて感じたことは、自分も豊かな国なかで育ってきた。わがまま言って留学とか、美術大学行ったようなくちですが、そこで自由な4年間をもらえた。だけど、その間にも世界は冷戦がありました、オイルを巡って戦争がありました、それが終わった後に国内でも地震があったり、オウムっていう内部崩壊があって、この2時間でね、その中でいろんな美術の動きがあったあったんだなぁと。その裏には見えていないけれども、こういう動きもあって、こうやって顔を出すんだなぁというのがあって。それで最終的には、去年震災が起こって、原発事故が起こって、ついに自分たち一人一人に突きつけられている現実があって…、こういう20年だったなっていうのがすごくよくわかったので、色んな対立構造の話とか難しい話とかがあったけど、非常に面白かった。

中村:まとめサイトみたいな話だ(笑)。

永瀬:彼が言っているのはシリアスなことだと思います。豊かだと思って育ってきた我々、つまり90年代を活動してきた人間っていうのは、豊かに育ってきたと思える最後の世代の人間だと思うんです。それが、豊かではなくなってきつつある、明らかに。今後どんどん日本っていう国は豊かでなくなっていくでしょう、おそらく状況的に。そのときに、ある種の責任ではないんですけれども、どうするかっていうのを、それこそ子どもたちにも見せなきゃいけない状況がきているし、先生であれば生徒たちにも何かしら伝えていかないといけないっていうのはあるはずです。

中村:僕たちは今40歳を過ぎて、なにかしら美術に関する仕事をしていますけれども、やっぱり日本がすごく豊かだったからなんとなくここまで来れてしまったんですよね。僕らと同じやり方を、今の学生さんがやって、90年代のように作品を作り続けられるのか? ありえない。

眞島:私たちの世代は、階級っていうものを意識せずに過ごせた最後の世代だと思うんです。その視点から言うと、私たちは粛正されるべき存在として映る可能性が大いにあります。と言うか、若い世代から見ればそうだろうと思います。たとえばそれは、今の年金生活者がどれだけ貯蓄を持っているか、みたいな形で語られているけれども、実はここにも断絶がある。繋がってはいるけれど。
で、ちょっと90年代の話に繋げていうと、スーパーフラットっていうのは階級意識がないんですよ。良いとか悪いとかの問題ではなくて、非常に特徴的な性格として、階級というものが全く見えない。一億総中流と呼ばれたものが基盤になっていて、その意味では90年代に私たちが持っていた階級意識のない階級制に立脚している。

中村:階級の話で言うと、今日なんだかんだで世代論をしてしまったと思うんですけれども、今の若い人たちには世代論が通じなくなっているんじゃないか。

永瀬:僕たちでも明日お金に困るわけじゃないですか。それは20代と条件はほぼ変わらなくなってきている。

楠見:世代論っていうよりも、もっと大きな断層っていうか、スーパーフラットが言われ始めたすぐあとにITバブルが崩壊してアメリカも日本も不況になって、むしろ格差社会っていう言葉の方が時代を語るキーワードになったわけじゃない?

中村:だから、僕らは一応全員日本人で、男ですよね。今日は(登壇者に)女性がいなくて、それもよくないと思うんだけれど、一億総中流っていう意識があるかぎりにおいては、世代論が通じるんですよ。むしろこの中で人種が違う人がいたりとか、宗教が違う人がいたりすれば、世代論は全然できない。つまりこれまでの僕らは世代論が通じる時代に生きていたということだと思います。

永瀬:社会分析的なことは多分、ここで我々がやっても生産的じゃないという気がする…。

中村:ごめんなさい、そうですね。

永瀬:一つ作品に即して言うと、さっき言った絵画の流れの中で、「手前」って単純化して言ってしまったんですけれども、どういうことかと言うと、作品が手前の空間(世界)を作り直していくっていう一つ流れだと思うんですね。梅沢和木(1985-)さんっていう方がいらっしゃるじゃないですか。

中村:梅ラボ君ですね。

永瀬:あの人の作品が特徴的なのは、村上隆さんの影響を強く受けている方なのですが、彼はフラットじゃないんです。あれはPhotoshopっていうソフトを扱ったことがある人なら理解できますが、ほとんど数百のレイヤー構造に見えてくる。一つの平面ではなくて、無数の階層構造がそこに出てきていて、一つの階層と一つの階層がどんどん差異化を生んでいく、空間を作っていく、世界を作っていく、そういう構造をもっている。作品が社会の反映としてあるだけではない、作品が世界を再組織していく側面がある。だから僕は評価しているんですけれども。

眞島:レイヤーを統合する瞬間、それこそがスーパーフラット的な感性だと、村上隆は言っていましたよね。

永瀬:それはすごいナショナリズムの話になってきて危ないかもしれない。

眞島:確か、そんなことを書いていたと思います。

中村:レイヤーを統合することが、ナショナリズムに通じる…面白いなそれ。面白いんだけどこの話するとまた終わらないよ(笑)。他にありますか?

質問者2:世紀末っていうのはいつからいつまでですか? 世紀末っていうのは20世紀末っていうことで今日お題になっていましたけれど。それがいつからいつまでっていう風に認識されているのですか?

中村:一応今回は90年代、2000年までですね。 質問者2:世紀末っていう括りでいうとね、ググるとさ、1966年からだったりするわけよ。世紀末っていうのは。それがさ、1989年からっていうのはどういうことなのかなって。

眞島:20世紀末は、文字通りに取れば1991年から2000年までの10年間のことで、いわゆる世紀末のことですけれど、日本では0に戻ったところから新しく始まるという意識が強いので、その場合だと1990年から1999年までを指すこともありますね。

楠見:今20代の人には多分わからないと思うんだけど、僕とか90年代当時、いま自分たちは20世紀末を生きている、しかも千年単位の世紀末を生きているんだっていう自覚がものすごいあったんですよ。西暦カウンターの桁が四つ一緒に回ろうとする瞬間を、俺たちはいま迎えようとしている。その中に、いろんな政治的な事件や、経済的なこと、ある文化的な変容があったりした。なんかそれ引っ括めて世紀末だったと思うんですけどね。むしろその意味では時代じゃなくて、その感覚というか、その意識の中のほうにいわゆる“世紀末”があったんじゃないかって僕は思いますね。

中村:ほか、ありますでしょうか。…ないようですので、そろそろ終わりにしたいと思います。今日はこんなに沢山の方に来ていただいて、また貴重な話を皆さんから伺うことができて、本当にやってよかったなと感じています。片付けながらですけれども、皆さんお酒を飲みながらでも、登壇者の皆さんとこのままお話してもらってかまいません。自由に解散したいと思います。

楠見:紹介できなかった貴重な資料も色々とあります。

中村:そうですね。今日は皆さん本当にありがとうございました。

<テープ起こし・最終校正:小金沢智>

    自分で考えざるを得ない

    言葉足らずだったが、環境管理論で語られた「個人が規律訓練的に自分で判断し行動しその責任を自分で追う、という“モダンな主体”はあまりに個人への負荷が重い」という指摘は今なお有効である(むしろ震災後顕著になった)。同時にやはり政治やインフラにおけるガバナンス(統治)は酷い水準なのも露呈した。ではどうなるか。踏み込んだ言い方をすればある種の宗教性が回帰する可能性もあり、そうなるとモダンどころかプレモダン的風景が再帰する危険がある。<永瀬>

     

    ART TRACE

    会場では間違った紹介をしてしまったが、2001年に活動を開始し「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」の元になったセミナーは2002年。出版は2004年である。2011年には本格的な美術理論誌ART TRACE PRESSを発刊し、それに併せて各種イベントを開催するなど活発。NPO法人としてその射程は状況に流されない作家の独自ネットワークによる相互扶助・制作支援といった所にまで届いており興味深い。<永瀬>

     

    photographers’gallery

    写真家北島敬三を中核として持つが、それ以外は若手の写真家達による。2001年活動開始。会場で取り上げたphotographers’gallery pressも無論重要だが、目覚ましいのは所属作家の作品の水準の高さである。最近ではニコンサロンで発表された笹岡啓子による東北の震災被害地域の写真が決定的なものになった。他の所属作家も瞠目すべき作品をプリントしている。個別の評価はそれなりにメディアに載るようになったが、10年を超える発信を考えればそろそろその写真史的重要性を踏まえた評価が必要。<永瀬>


    Chim↑Pom『LEVEL 7 feat.明日の神話』

    この作品については既に様々な議論が交わされているが、大方は「岡本太郎論」の文脈に沿ったもののように見える。筆者の関心は、この作品が公共の場に常設された壁画の公共性と常設性への直截な批評になっている点にあり、それが「岡本太郎神話」とでも呼ぶべき言説(の政治性)を補強するものに終わってしまうなら、残念と言うより他にない。 http://chimpom.jp/?p=custom&id=13339952<眞島>


    「指差し男」

    「指さし作業員」のこと。2011年8月に、福島第一原子力発電所構内に東京電力が設置したライブカメラに向かって右手人差し指を突きつけるパフォーマンスを行った。『ポータブルマインド』(2008年)、『ふるさとの合成』(2010年)などで知られるアーティスト竹内公太がその正体と目されるが、真相は「公然の秘密」とされている。<眞島>


    ヴィト・アコンチ

    「指さし作業員」のパフォーマンスはアメリカ人アーティスト、ヴィト・アコンチ(Vito Acconci)のビデオ作品『Centers』(1971年)を参照している。<眞島>


    レイヤーを統合する瞬間

    「社会も風俗も芸術も文化も、すべてが超2次元的。(中略)そのフィーリングを説明すると、例えば、コンピュータのデスクトップ上でグラフィックを制作する際の、いくつにも分かれたレイヤーを一つの絵に結合する瞬間がある。けっしてわかりやすいたとえではないが、そのフィーリングに、私は肉体的感覚にきわめて近いリアリティを感じてしまうのだ。」“Society, customs, art, culture: all are extremely two-dimensional. ... One way to imagine super flatness is to think of the moment when, in creating a desktop graphic for your computer, you merge a number of distinct layers into one. Though it is not a terribly clear example, the feeling I get is a sense of reality that is very nearly a physical sensation.” 村上隆「Super Flat宣言」(2000年)<眞島>




金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか
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20世紀末・日本の美術ーそれぞれの作家の視点から
copyright: Kengo Nakamura All Rights Reserved. http://www.nakamurakengo.com/


20世紀末・日本の美術
ーそれぞれの作家の視点から
企画:中村ケンゴ
企画協力:MEGUMI OGITA GALLERY
音響機材:NORISHIROCKS
椅子提供:Civic Art
記録:小金沢智
ビデオ撮影:亀井誠治
販売協力:原花菜子
登壇者
眞島 竜男/現代美術作家
永瀬 恭一/画家
中村 ケンゴ(司会)/美術家
楠見 清(ゲスト・コメンテーター)/美術編集者・評論家
目 次
年表作成の為の参照文献
<年表作成の為の参照文献>
BRUTUS 2008年2/15号『すいすい理解る現代アート』/美術手帖 2005年7月号『日本近現代美術史』/山内崇嗣の美術史年表wikipedia『1990年代』FUKUSHI Plaza 『20世紀略年表』
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