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20世紀末・日本の美術


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2001年(平成13年)
2001年(平成13年)
※ピンク色で貼付けてある事柄は、年表に出ていないが、登壇者により取り上げたいと希望があったものです。

中村:では2001年にいきます。時間的にここで終わりにしますので。

楠見:ようやく21世紀です。

中村:2001年、奈良さんが横浜美術館で大規模な展覧会(「奈良美智展 I DON'T MIND,IF YOU FOGET ME」)、村上さんが東京都現代美術館で大規模な展覧会(「村上隆展 "召還するかドアを開けるか回復するか全滅するか"」)を開催しています。村上隆展で、「美術徹底討論会」というものがあったと…。楠見さん、これはどういうものでしたか? 

楠見:9.11を受けて、緊急討論会をやったんだよね。それで針生一郎さんと、椹木さんと、村上さんと、僕とで話をしたんですよ、東京都現代美術館の講堂で。

中村:これはMOT(東京都現代美術館)の企画ですか? 

楠見:ちょうど村上展の期間中で、そもそも会期中にシンポジウムをっていう話があったのかもしれないけれど、9.11を受けて、緊急っていうことで企画されてすぐに告知されて10月20日に開催された。みんな針生さんが元気なうちに現代の戦争に対して美術が何をすべきか話してもらいたいと思ってたんだね。村上さんはDAICONみたいにもの凄いオープニング映像を作ってきて会場も盛り上がった。ただ、講演の記録が、ないんじゃないかな。見たことがない。

中村:この年に、岡崎乾二郎さんの『ルネサンス 経験の条件』が出ています。眞島さんが、90年代は北澤さんの『眼の神殿』で始まって、岡崎さんの『ルネサンス 経験の条件』によって終わったということを言われていたのですが、それについてありますか?

眞島:『ルネサンス 経験の条件』でスパッと終わったわけではないのですが、日本での90年代の美術と美術批評には、先ほど永瀬さんが仰ったようなポップではないものの流れがあって、それがある種、岡崎乾二郎に集約されるような形で、最終的に『ルネサンス 経験の条件』という一冊にまとまっていったと思うんですね。もともと『批評空間』に連載されていたものですし。とはいえ、そこにはポップなものも含まれているんですね。これは、シンポジウム前に遣り取りしたメールで永瀬さんが書いていたことですが。

中村:その辺の話をして欲しいな。

永瀬:岡崎さんには十分ポップな側面がある。この間東京都現代美術館で行なわれた岡崎さんの展覧会(「特集展示 岡唄テ麩此廖砲硫燭秀逸だったかと言うと、意味内容より配置だと思うんです。つまり抽象表現美術とポップ・アートの間に岡崎乾二郎を配置している。岡崎さんの作品っていうのは形式的に見れば半透明のロリポップ的なディップが立体的に置かれる。あれにポップの反響を見ないっていうのは事実上無理だと思うんですね。岡崎さんは自分のバックグラウンドを簡単に言う人ではないのですが、あの作品を見ると岡崎さんにとってのアメリカっていうのは非常に大きいのではないか。90年代動けなかった僕が原因となるところがあって申し訳ないのですけれども、今日の話の流れで、ポップ対モダンっていうものを対立構造で捉えていたのでは物事が見えてこないだろうなと思います。

中村:議論のなかで、楠見さんのポップと、永瀬さんのモダンが対立しているのが面白いっていう、僕の中ではそういうのがあったんだけれども…。

眞島:区分けとしてね。

中村:そう。僕は村上さんらの世代に影響を受けて、シミュレーショニズムから始めて、2000年代の始めくらいまでは自分をポップ文脈の作家だと思ってたんですよ。でも今は自分の作品をとくにポップとは思わない。ポップと言われることに対して違和感さえある。そして岡崎さんの作品にもすごく惹かれている。その両者の対立っていうか、引き裂かれた感じがずっとあったんですが、今回この企画を準備する中で、永瀬さんが、実は岡崎さん非常にポップだよっていう話を聞いて、すごく癒されたっていうか。

永瀬:癒されても困りますが(笑)。

中村:対立していたのではなくて、要するに結びつくものでもあるという…。

永瀬:先ほど言った、コマーシャルっていうものが非常にクリティカルな文脈で出てきたっていうこととも繋がるんですけれども。要するにコマーシャルであるからどうだとか、あるいは何か『批評空間』的なものを持っているからどうだっていうのは、まったく関係がない。そういう認識こそ、まさにキッチュだと思うんですね。全部フラットに、いろんなものが雑多にあるっていうだけの話であって、そういう軸で考えてしまうと物事見えてこないんじゃないかっていう気がします。2001年に9.11のアメリカでの同時多発テロがあった、あそこで理解できたのは、いろんなものを脱構築する資本主義と言われていたものの内実がアメリカ型自由主義経済、いわゆるネオリベラリズムで、そういうものが一つ限界を迎えたんだっていう見方をすべきだと思います。資本主義っていうのは終わらないですから、人が人と何かを交換しているかぎり。その形態が変わっていくんであって、では、どのような形態を模索するのか。少なくとも芸術は何をモデルなり予感なりとして示せるのか。そういう事だと思います。

中村:じゃあこれで絵画のまとめにいきますか?

永瀬:はい。一番最初に言った、作品論的に言うと、奥から手前へっていう流れがあるのを説明します。

中村:作品の順番はこれでいいですか?(プロジェクションする。まずは中村一美の作品)

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永瀬:はい。中村一美さんっていうのは80年代のモダニズムを象徴した方だと思うんですが、単純に分かるんです。ステインしている。キャンバスに絵具が染み込んでいる。それに対して手前が、残しているのか描いているのかはわからないけれども、ありますよね、斜めの動きが。このことによって何が生まれるかって言うと、奥と手前っていう関係が生まれる。つまりそこに深奥空間が生まれるんですね。基本的な戦後アメリカの抽象表現美術の理解に基づいた作品です。
(プロジェクションする。村上隆の作品)これが80年代までだったとすると、こういうものに対してアンチをもってきたのが、今日わりとメインで話されていた村上隆さんの絵だと思うんですね。いわゆる、奥がなくなる、表面になる。サーフェスになっていく。眞島さんの天ぷらの作品っていうのも、問題としては彫刻っていうよりはサーフェスだと思うんですよ。

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眞島:そうですね。それは確実にそうです。

永瀬:時代状況に確実に対応していたお仕事だと思うんです。これが日本のバブル経済の80年代から90年代初頭の、ある種の達成みたいなものをすごく表象してたなぁっていう気がします。でもですね、やっぱりこういうものが10年、20年続いてきている。2001年にアメリカの同時多発テロが起きているのに、やっぱり「スーパーフラット」っていうキーワードだけでずっといくのはただのマニエリスムだろうっていうのがあって、そのときやっぱり岡崎さんっていうのは大事な存在だと思うんですが。これは2000年代に入ってからの、小さい作品です。

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中村:いいよね、これ。(プロジェクションする。岡崎乾二郎の作品)

永瀬:岡崎さんって、絵画的な仕事でポピュラリティを得ましたけれど、明らかに資質は彫刻家だと思います。あの人が作った作品で「高度だな」って思う仕事は沢山ありますけれど「いいな」って思える仕事は僕は彫刻だと思います。この作品も、明らかに彫刻的な意識で描かれたものです。
どういうことが起きてきているかっていうと、手前に出てきている。画面の手前の再組織化が問題になってきているんですね。画面の奥に観客を誘い込むのではなくて、画面の表面だけを徹底的に磨き上げるのでもなくて、観客の側に出てきている。話が長くてすいません。


    特集展示岡唄テ麩

    2009年から2010年にかけて行われた東京都現代美術館MOTコレクション展の一部として行われた。2006年に大竹伸朗、2011年に名和晃平の企画展が行われた同館で岡崎展がなぜ企画展として開催されなかったのかは大きな謎だが結果的に良展示になった。初期の「あかさかみつけ」シリーズ、「Yellow Slope」「Blue Slope」といった彫刻作品が見られたのは貴重。<永瀬>

     

    中村一美

    1956年生まれ。80年代日本における抽象表現主義受容の象徴的存在。今必ずしも大きな注目を浴びているとは言い難いが、2000年代になっても「存在の鳥」シリーズなどで本来の実力を示す力作を生産しており、率直に作品を見直すことのできる時代になってきたと思える。<永瀬>



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20世紀末・日本の美術
ーそれぞれの作家の視点から
企画:中村ケンゴ
企画協力:MEGUMI OGITA GALLERY
音響機材:NORISHIROCKS
椅子提供:Civic Art
記録:小金沢智
ビデオ撮影:亀井誠治
販売協力:原花菜子
登壇者
眞島 竜男/現代美術作家
永瀬 恭一/画家
中村 ケンゴ(司会)/美術家
楠見 清(ゲスト・コメンテーター)/美術編集者・評論家
目 次
年表作成の為の参照文献
<年表作成の為の参照文献>
BRUTUS 2008年2/15号『すいすい理解る現代アート』/美術手帖 2005年7月号『日本近現代美術史』/山内崇嗣の美術史年表wikipedia『1990年代』FUKUSHI Plaza 『20世紀略年表』
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